人を見たら泥棒だと思えってのはせちがない人の世の一種の処世術を語ったような諺ですが、営業マンは人を見たらお客だと思えってのはどうでしょうか?
今回のコラムは勘違いされると困りますので、私が営業マンは人を見たらお客だと思えってのは普段から自然体でいましょうね?って意味で書かせてもらっています。
人間生きていくにはなんらかの他人との繋がりをもって生活をしているのでありまして、これは営業マンであっても、お客であってもそれは全く同じ事ですよね?
世間は広いようで案外狭い(逆の言葉も有りますが)って言われますが、長年営業マンをやっていますと、どんなつながりで新しいお客が獲得できるのか予測がつかないので有りまして、忘れた頃に、思いもよらぬ、めぐり合わせで、お客を獲得するって事も有るのです。
そう考えますと、普段から気を付けて腰を低く・・・なんて事考えていたんじゃ何の為の人生なんだか、仕事のための私生活になってしまいますので、それじゃ疲れちゃいますよね?
私が思うには仕事中も、プライベートな時間でも自然体でいれば、まあ疲れる事はないって思うんですよ。
ここまで書いていてふと思ったのですが、それならそもそも人を見たらお客だと思う必要は全く無いのでありまして、損得勘定とか上下関係とか、地位とか肩書なんてのもきにしない(ようにして)自然体で生活してりゃ困る事はないんですよね?
そうです。
営業マンは外部の人との接触が多いですから、色々余計な事を考えているよりも、何時も自然体ってのが良いですよね?
そうでなきゃ疲れちゃいますからね。